2009年8月21日金曜日

金アユの塩焼き

 先日、ある催しで地元の観光パンフレットが取り上げられ、「観光施設や景勝地の情報は多いが、食に関する情報が少ない・・・」と、講師の方から指摘された。
 続けて「旅行者にとって、食の情報に対するニーズは高い。このまちには、どういう食べ物があって、どこへ行ったら食べることができるのか。そういう情報が求められている・・・」と。
 旅する者にとって、景勝地は心の満腹を得られるが、お腹の満腹を得るためには、花より団子、やはり地元産の料理や名物に限る。

 さて、催し終了後、講師の方を囲んで職員数人とプライベートでの懇親の場が設けられた。その際、鰺ヶ沢産のアユの塩焼きをお出ししたところ、講師の方が「うまい」を連発。お褒めの言葉をいただいた。
 赤石川のアユは、頭の側面にある三日月形の斑点が金色に近い黄班点になっていることから、金アユと呼ばれ珍重されている。なぜ、金色なのかというと、赤石川の上流は花こう岩が多く、その石に含まれる黄鉄鉱という黄色の金属質の影響によるらしい・・・と郷土読本を見ると書いてある。

 町にとって、金アユは自慢の一品。特産の品としてPRもしている。では、アユの塩焼きをどこで食すことができるのかというと、町内では2カ所、しかも限定販売。売りにしている割にはちょっと少ないような気もするが・・・。
 それはさておき、1カ所目は「海の駅わんど」の屋台で、予定では8月末までは毎日販売、9月以降は土日のみ(店内には飯寿などの加工品もある)。ただし、1日15尾程度の限定販売の上、雨天時は販売しないらしい。

 2カ所目は、赤石川沿いの種里町にある「館の売店」。こちらは、白神御膳というメニューで、アユの塩焼きにご飯とおそば(小)、地場産品を使った日替わり小鉢3つに、フルーツ付き。
 是非、一度、お試しを・・・。<M>

2009年8月6日木曜日

歓迎・・・水戸黄門様御一行

 先週のこと。TBSの水戸黄門第40部の第1回を見た。なんと発生した事件には、津軽藩が関わっている。事件はこの1話で完結。勧善懲悪よろしく悪は懲らしめられた。第1回とあって、悪役も大物俳優が演じていた。

 さて、事件解決に活躍した津軽藩の家来を助けた黄門様は、そんな優秀な家来を持つ津軽の殿様と是非一献・・・ということで、いつものように一行を伴い、津軽に向けての世直し旅に出ることになった。敵か味方か微妙な伊賀出身の松尾芭蕉、曾良師弟も同じように北を目指す。これから、様々なストーリーが展開されることだろう。まさか、来年12月の新幹線青森駅開業にあわせて、黄門様一行がやってくるわけでもないだろうが・・・。もしかして、そうだったりして。

 それはともかく、津軽藩にせっかく黄門様がおいでになるのであれば、是非、鯵ヶ沢町においでいただきたいものだ。というのも、津軽藩の始祖「光信公」が城を構えて津軽統一の第一歩を踏み出したのが鰺ヶ沢の地であり、それを足がかりに5代目となる藩祖為信公によって津軽は統一された。鰺ヶ沢が津軽藩発祥の地といわれる由縁である。

 藩政時代には津軽藩から大坂向けの米が移出される御用港として、津軽と上方との交易により大いに栄え津軽藩の経済を支えた。町の中心部にある白八幡宮は、藩祖為信公が藩の費用で社殿の造営を行い歴代藩主が参拝に訪れたし、4年に1度開催される白八幡宮大祭は藩の命により開催され、300年以上の歴史を誇る。(今年が開催年。8月14日~16日開催。)  ⇒(写真)白八幡宮大祭の様子
 
 また、藩主が立ち寄るための御仮屋や町奉行所もあった。つまり、鰺ヶ沢は津軽藩にとって極めて重要な地であったのだ。よって、時代劇には欠かせないアイテム?も多く、脚本も書きやすいと思う。

 そんなこんなで、津軽藩に向かっている黄門様一行には、津軽藩との関わりが非常に深い鰺ヶ沢に是非ともお立ち寄りいただきたいと思っている。TBSの関係者の皆様、制作会社の皆様、是非、黄門様一行の旅の訪問地として鰺ヶ沢町について是非ご検討を・・・。<M>